野球で培ったもの~神出設計野球部編~episode1
2月に行われた第29回昭和新山国際雪合戦大会で2年ぶり3度目の優勝を飾った「でぃくさんズ神出」。このチームは社会人軟式野球の雄・神出設計エコアハウス野球部の皆さんが選手として出場。野球についても昨秋行われた、第36回全日本早起き野球全国大会で準優勝するなど全国屈指の強豪チームだ。メンバーの中には、元プロ野球選手や大学、高校で活躍した選手ばかりだ。そんな野球部の方々に『野球で培ったもの』は、と聞いてみた。
今回インタビューしたのは、田村和宣(かずのり)さん(37)。
野球を始めたキッカケは、父や兄とのキャッチボールが野球への入り口だったそうだ。小学3年で銭函ボーイズへ入団。中学は銭函中野球部。中3最後のシーズンは、中体連で小樽地区予選・2回戦で涙した。高校は小樽工業高校へ進学し、最後の夏は5番・投手として出場。高校野球最後の試合となったのは小樽地区・代表決定戦の北照高校戦。試合は3‐12と敗れ学生野球の幕は下りた。
高校野球の三年間が財産
現在、入社して今年で20年目を迎える。振り返ると就職活動中、当時小樽工業高コーチだった酒井昭彦氏(現在・北見緑陵高野球部監督)から「厳しい高校野球を三年間やり通すことが出来たので大丈夫だ」と背中を押され面接を受けることに決めた。会社では工事部係長として現場監督も任される。仕事でのやりがいは「施主様より引き渡しの時、ありがとうございます。など感謝の言葉をいただいた時」と充実した表情で話した。仕事に野球、雪合戦部主将と活躍する田村さん。
ギャオス内藤から適時三塁打が最高の思い出!
Q)野球での一番の思い出は?
「2007年開催の第1回マルハンドリームカップ全国草野球トーナメントへ北海道予選を勝ち上がり、全国大会(東京ドーム)で優勝を飾った。当時、優勝チームがプロ野球OBチームと対戦することになっていた。試合は、接戦を2‐1で勝利。この時、6番・一塁手として出場し、元ヤクルトスワローズのギャオス内藤投手からライトオーバーとなるタイムリー三塁打を打てた」と笑顔を見せた。
▼田村和宣さん
1980年生まれ。小樽市出身。身長176㎝、体重85㎏。左投・左打。家族は妻と娘(5)。
(選手経歴)
銭函ボーイズ-銭函中学校-小樽工業高校-神出設計野球部
◆マルハンドリームカップ・全国草野球トーナメント
大会は全国の都道府県予選大会を得て、全国8地区で地区決勝大会を実施。各地区の代表8チームが全国大会決勝トーナメントを行う。優勝チームはプロ野球OBチームと対戦するドリームマッチが決勝戦後行われる。
パチンコチェーン店・マルハンが特別協賛、社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)が全面協力して立ち上げ、全国規模でのオープン形式の大会として開催。かつて、行われたニッサングリーンカップ・全国草野球大会と同様の大会である。参加チーム数は、2007年の第1回は約800チーム。
2009年まで上記名称だったが、参加チームのレベルが年々上昇してきていることから、「よりレベルの高い大会にしたい」との理由で2010年よりマルハンドリームカップ・全国ベースボールトーナメントと名称が変更されている。2015年より協賛がゼビオグループとなったことから大会名も改め「ゼビオドリームカップ」として開催。回次もリセットされた。
協力:㈱ecoaハウス